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播但線で最後の活躍をするDD54です。


「54」番台の形式を名乗る機関車は、薄幸だ。とのジンクスがあるように、悲運の機関車の代表格に上げられています。
この写真は、運用停止の一ヶ月ほど前に写したものです。4両の貨車のうち、前後は車掌車のようなので、実質2両のさびしい列車です。本線運用は播但線の貨物列車数往復に限られていましたが、この場所はおろか、駅や機関区でもほかに撮影しているひとも見かけませんでした。「さよなら運転」のようなイベントもなく、さびしく消えていったのでしょうか?



故障が多く、現場でも「やっかい払いが出来てよかった。」という感じだったのかも知れません。
(昭和53年5月4日、竹田−和田山間)


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モノクロ写真の方は、昭和49年頃に山陰線の花園駅西方の陸橋から写したものです。今は高架線になって雰囲気が全然変わっています。この頃は山陰線や福知山線でも活躍していて、箱型の車体がDD51などの凸型車よりかっこよく感じていました。


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