昭和55年春の撮影行は、四国方面になりました。前回の四国行きとは逆に、広島から瀬戸内海を渡って、松山の集合地へ向かうこととしました。なぜ、このようなコースをとったかと言うと、当時は「仁堀航路」が健在で、山陽線・呉線(竹原または海田市経由)・仁堀航路のコースが利用できたからです。
当時のメモによれば、前日に福塩線を撮影し、広島泊、翌日の午前に可部線を訪れました。
(昭和55年3月12日)
下り、可部行きのモハ72・73系4両編成が太田川を渡る。 (上八木−中島間)
横尾駅に進入する上り列車。この駅は元は島ホームで交換設備があったようですが、私が訪れたときは、旧上り線は撤去され、片ホームの棒線駅になっていました。
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三段峡までの直通列車が、太田川鉄橋を渡る。首都圏色と旧国鉄色の混色編成。
早春の河川敷を走るゲタ電のサイドビュー
早春の川風に吹かれた後は、午後は、瀬野八へ向かいました。
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