(その1) |
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1984/昭和59年3月、当時の国鉄改革政策によって多くのローカル線が廃止されました。首都圏では、相模線の寒川−西寒川間の支線が廃止されています。 この日は、午前中に北総・公団線の開業を見に行き、午後から相模線に回りました。一日で「こんにちは」と「さようなら」の両方を見れたことになります。 S59.03.20. |
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当時の、茅ヶ崎駅の様子。相模線ホームから東海道線ホームを望んでいます。12系お座敷列車(くつろぎ?)が通過しています。 奥の貨物駅にはEF65に引かれた貨物列車が発車を待ち、入換用のDE10の姿も見えます。 |
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西寒川駅の様子です。小雨の中、大勢のファンが集まっています。 |
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バスの待合室のような改札口以外、見るものは何も無かったような気がします。 |
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駅名票もすでに無く、(心無いひとが持ち去った、とは思いたくないので、撤去されたことにしましょう。)、誰かがダンボールに手書きで作ったものがぶら下がっていました。 |
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