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叡山電車にも近代化・合理化の波は押し寄せ、ポールカーもパンタ化されることとなります。
ポールからパンタへ切り替わった前後の写真です。
ポールカー最終日 さよなら電車が修学院駅を発車する。車内は、お名残乗車で込み合っている。 この日、出町柳駅では「鉄道友の会」主催のイベントもあり、乗務員へ花束贈呈なども行われた。 昭和53年10月19日 |
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さよならポール電車のヘッドマーク |
ポール電車の車内(デナ510) 昭和53年8月31日 |
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比叡山をバックに走るデナ510、プールの広告つきの円形サボがなつかしい 昭和53年8月31日 |
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登場直後のデオ601 この電車が叡電にやってきたときは、正直おどろきました。何しろ、「ヒーター」が付いてて、冬でも暖かいし、「扇風機」も付いていて、夏も快適そうです。「車内放送設備」もあって、スピーカーを通して車掌さんの案内が聞こえます。だいいち、車内に木製の部分が無い!! (叡電の名誉のために断っておくと、その頃はまだ世間一般でも半鋼製車も非冷房車も巾を利かせてましたし、窓を全開で走るのは気持ち良かったです。1・2両編成では車掌さんの肉声で十分で、妥当な装備だったと言えます。) 三宅八幡−八瀬遊園 昭和54年1月 |
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叡山電車近代化のエースも登場後、すでに四半世紀が過ぎ、最後の一編成が休車状態で残っているだけになりました。 |
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修学院車庫の片隅で昼寝中のデオ600、編成の半分は狭いすき間に押し込められている。 |
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