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京都市電が廃止されて早いものでもう四半世紀の時が経ちました。
思い出すままに、市電のことをすこし書いてみます。
2系統(1833,1828) 錦林車庫前にて (S51.3.31) |
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2番と錦林車庫 末尾2は錦林車庫の所属でした。加茂大橋の電停で待っていると1番はなかなか来ないのに2番は何台もやって来ました。この電車の走る河原町線の今出川−丸太町間は軌道の状態が良くなかったのかよく揺れました。いちばん後ろにのって運転台を見ていると運転手さんはさながら急流下りの船を操るように運転していました(^^) 錦林車庫は白川通に沿って長く伸びていたので、留置されている電車がよく見物できました。市電廃止後はバスの車庫に転用されましたが、今では敷地の半分が高齢者向けの施設になっています。市電の系統番号番は営業所毎に色分けされていましたが、この車庫は白地に黒と水色字に白の2種類がありました。同じ系統が交差したり、重複して走る区間があったりしたため、色分けで区別したのでしょう。 |
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12系(1649) 錦林車庫前にて (S51.3.31) |
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22系統(1818) 同志社前にて (S51.3.31) |
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12系統(1645)加茂大橋にて バックの銀行も金融再編で消え去ったが、左端の架線柱はまだ残って市電の遺構となっている。 (S51.3.31) |
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今出川・白川・丸太町線さよなら電車 加茂大橋にて (S51.3.31) |
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