京都市電

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京都市電が廃止されて早いものでもう四半世紀の時が経ちました。
思い出すままに、市電のことをすこし書いてみます。

元田中叡電前にて
貸切電車(1832)
市電とのお名残の乗車の小学生を乗せて
(S.53.9.29)

元田中叡電前にて
遠足電車の2台目が着いた。
もうお父さんお母さんになっているかもしれないこの子たちの記憶の中に、
市電は残っているだろうか?
私はこの日二十歳の誕生日を迎えた。
市電は翌日83年の生涯を閉じた。
(S.53.9.29)

元田中叡電前にて
6系統(1839)ポール電車との顔合わせも明日まで、
ポール電車(デナ508)もこの半月後にはパンタ化されともに消え去った・・・・・
(S53.9.29)

元田中叡電前にて
かつてはこの交差点から叡電への連絡線を通って、市電が宝ヶ池まで乗り入れたこともあった。踏切番のおじさんの姿もなつかしい。ここの警報機は「チン、チチン、チン。チン、チチン、チン。」と他の踏切とは少し違うリズム?で鳴っていた。デナ126鞍馬行きの単車もなつかしい。
(S53.9.29)

元田中叡電前にて
臨時百万遍行き(1803)ほかに高野、熊野神社前、千本北大路、西大路四条行きなどの臨時系統があった。
(S53.9.29)

祇園祭で、河原町通りが通行止めになったため、河原町二条で折り返す臨5系統
(S.52.7.17)

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