福 塩 線
(HOME)へ (鹿児島交通)へ     (熊本)へ (旅日記館top)へ
(HOME)へ (鹿児島交通)へ (ページの先頭)へ (熊本)へ (旅日記館top)へ

その2

さて、翌朝はホテルの窓から桜島に昇る朝日を写し、市電鹿児島交通を撮影して、知覧にやってきました。加世田から知覧に向う途中、旧鹿児島交通知覧線の廃線跡とおぼしき、鉄橋の橋脚が見られました。鹿鉄全線が廃止されて20年以上が経つ今、遺構は残っているのでしょうか?

この町は、武家屋敷で有名です。いくつかのお屋敷が公開されています。
この時写した写真には、折角のお庭の向こうに電柱や電線が写りこんで興ざめです。磯庭園でもそうですが、修景などの概念がまだ、薄かった頃なのでしょう。



知覧のもうひとつの見所、特攻記念館には、遂に行きませんでした。ガイドブックで自分と同年代の青年の最後の話を読むだけで、胸が詰まって、やって来た枕崎行きのバスに乗って急ぐように、町を後にしました。

やがて、バスは海沿いに出ました。富士山のような山並みを見つけて地元の人に聞くと「開聞岳」とのこと、あわててシャッターを切りました。

定刻より遅れて、列車の発車ぎりぎりに枕崎駅に到着しました。切符を買って乗り込むと 17:04 に発車です。鹿交との乗継シーンなどは写せませんでした。また私鉄も全線走破など意識してなかったのか、加世田−枕崎間は未乗のままで廃線の日を迎えています。

18:18 に当時の国鉄最南端駅「西大山」に着きました。南国の日暮れは遅く、早春でしたが、なんとか駅名票をカメラに収めることが出来ました。

列車は、指宿を過ぎ、19:52 に西鹿児島へ戻ってきました。列車とバスを使っての薩摩半等一周は終わり、市内にもう一泊ののち、肥薩線まわりで熊本を目指しました。

このページを作っているとき、偶然に鹿児島銘菓「かるかん饅頭」をいただきました。
「なにか鹿児島の土産品が欲しいなぁ。」と思っていたときで、あまりのタイミングの良さにびっくり(笑)

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送