はじめての南紀旅行

次に和歌山へ旅行したのは小学校5年の海水浴です。昭和44年のことです。以下の文章は、管理人が@nifty観光フォーラムの会議室(掲示板)に発言(投稿)したものを一部加筆・修正したものです。

         

京阪三条からのった特急は1900系、当時は特急といえど非冷房で窓は全開だったようだ。京橋駅も地上駅で、踏切を渡って環状線の駅へ向かった気がする。(後でわかったのですが、踏み切りを渡ったのは帰りのことのようです。)
 
天王寺駅には、ブルドックに似た顔つきのキハ81の特急やキハ55系の急行が停まっていた。和歌山行きの快速はモハ70系、内装に木を使った車内がちょっと薄暗い印象で記憶に残っている。

鳳を過ぎると田園地帯になったようで、途中駅の貨物ホームには、泉州名産の玉ねぎが山と積まれていた。茶色の機関車が入れ替えしていたが、今思うと、EF15EF52だったのだろう。

紀伊中ノ島駅で降り、今は廃線になった和歌山線の田井ノ瀬−紀和間短絡線に乗りかえる、かつてはこちらが和歌山線の本線だったそうだ。和歌山市駅の構内で国社境界標が目についた。列車はキハ35系だった。

ここで、南海電車に初お目見え、その前にも難波付近で見ているのかもしれないが、記憶に無い。緑一色のごつい感じの電車に目をみはる。南海電車のCMソングにある「走る電車はみどりの電車」のフレーズを口づさんだ。この型の電車は数年前までは、貴志川線を走っていたような気がする。

加太行きに乗る、途中「八幡前」という、地元の京福の駅名と同名の駅を発見して喜ぶ。ここでもちいさな電気機関車が引っ張っていた貨物列車と行き違った。加太のひとつ手前の磯ノ浦駅で下車した。乗り越しの精算で運賃が55円だか、65円だか、5円の端数があり、駅員さんが「子供の運賃は切り捨てかいな、切り上げかいな?」と言ったのが、いまでもなぜか耳に残っている。駅前は、すぐ浜で、海の家が並んでいた。

泳ぎ疲れて、市駅に戻ると、駅前には市電(南海和歌山軌道線)が走っていた。カエルの目玉のようなヘッドランプが印象的なちんちん電車に乗って、お城の近くの宿に落ち着いた。

(写真は、当時の南海和歌山市駅、羽歯車の旧社紋や「淡路島連絡」の文字が時代を感じさせます。)

和歌山からの帰りは途中、みさき公園で下車して遊園地で遊んでから南海本線で難波へ出て、地下鉄で淀屋橋、京阪で三条とたどったようだが、南海の車内以降は記憶にはない。たぶん疲れて寝てしまっていたのだろう(笑);

南海で覚えているのは、途中(孝子峠付近か)で山火事があり、電車が徐行したことと、みどりの濃淡のきれいな電車(7000系?)に乗ったこと位だ。当時の最新型の7000系も今また乗りあわせてみると、片開きのドアやちょっとくたびれた(失礼)感じの車内など、30年の時の経過を感じさせてくれる。JRの113系や京阪の1900系や阪急の2000系、3000系に乗り合わせたときも、この懐かしいような損したような(^^;気分を味わうことができる。

当時の電車は頑丈なのか、保守技術が高いのか結構長持ちしてますが、現実に十数年の耐用年数でリサイクルしていくコンセプトの電車も現れている時代では、新車も20年30年と走り続けるのはもう無理なのでしょう・・・・

ここに出てきた電車も京阪1900系や南海7000系を除いてほとんど鬼籍に入り、運んでくれた運転手さんも車掌さんも駅員さんもすでに退職されたでしょう。月日の経つのは早いものです(^^)

(2000年10月3日 投稿)

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