(倉敷・岡山・帰り道)

瀬野八での撮影を終えた後、岡山市内に一泊 (泊まったホテルは岡山駅ほど近い線路際で、窓からは山陽線を上下する列車をいつでも眺められる「鉄」向きの宿でした、翌朝、一旦倉敷駅に戻り、児島行きのバスで、下津井電鉄沿線に向かいました。倉敷駅は今は駅ビルと一体になった立派な駅舎ですが、当時は、ごく普通の地方小都市の駅といったたたずまいだったように記憶しています。
児島からは、下津井電鉄の接続が良くなかったのか、またバスに乗り換えて、鷲羽山に登っています。瀬戸大橋の開通は、まだ10年も先の頃で、備讃瀬戸には、橋の影も形もありませんでした。
徒歩で山を降りて、下電の駅で電車を待っていると、駅の裏に学生カバンの落し物がありました。届けてあげようと、持ち主を確かめるために中を開けてみると、手紙が入っていました。時は9月の第一週目、どうやら夏休み明けに、人生の岐路に立った高校生のメッセージのようです。学校に電話しようかとも考えましたが、こちらもかかわりになるのがいやで、カバンを待合室の目立つところに置いて、やってきた岡山駅行きのバスに飛び乗ってここを離れました。
で、結局高いお金をだして、児島半島縦断のバスの旅をしただけで、岡山に戻ることとなりました。下津井電鉄も水島臨海鉄道やまだ元気に走っていた岡山臨海鉄道なども、バスの車窓から眺めただけで、乗車はおろか駅で写真をとることも叶いませんでした。
岡山駅前でも岡山電軌の写真も撮っていないところを見ると、自分と2,3才しか年の離れていない少年の行く末にショックをうけたわたしも若かったようです・・・・・・・・

姫路でやっと立ち直ったのか、この旅行最後一枚を写しています。

姫路駅にて

最後は、ちょっと「鉄旅」から離れた話題で終わってしまいましたが、無事帰京することが出来ました。

次回は、昭和54年の早春に訪ねた上信越線の撮影旅行のお話をさせてもらいたいと思ってます。
では、また。 See You Agein.
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