旅の足跡
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昭和55年春の撮影行は、四国方面になりました。
前回の四国行きとは逆に、広島から瀬戸内海を渡って、松山の集合地へ向かうこととしました。
なぜ、このようなコースをとったかと言うと、当時は「仁堀航路」が健在で、山陽線・呉線(竹原または海田市経由)・仁堀航路のコースが利用できたからです。
当時のメモによれば、3月11日の朝に京都駅を出発し、福山→広島→呉→松山→高知→丸亀→下津井→丸亀→高松→宇野→岡山→京都着と、4泊5日で移動しています。
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