今月のTOP写真集
(2005年)
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2005年12月のTOP

昭和56年の春休みに、九州一周の旅にでました。宮崎から鹿児島、熊本、福岡、佐賀、長崎と移動しました。この写真は、その途中、鹿児島市電の谷山線に乗ったときの一枚です。「二軒茶屋」という駅名に反応して降りてみました。こんな南国の町で毎日の通学に使っている駅と同じ名前の駅名と出会うとは驚きでした。専用軌道に一両の電車、ちょっと山手の住宅地、これでどこかの大学の最寄り駅なら、まさに双子駅(^^)ですね。

(鹿児島市交通局谷山線 二軒茶屋停留所 S56/03/07)


2005年11月のTOP

八瀬へ向かう電車はけっこう混んでいましたが、降りた人はみんな大原へむかうバス停やケーブルの駅へ、かまぶろ温泉へのみちをたどったのは、わたしひとりでした。でも、散歩するひともない八瀬の遊園地は真っ赤に染まっていました。ことし見たもみじの中でいちばん美しく感じました。だれにも邪魔されること無く、渓流ともみじの取り合わせをカメラに納めました。

ぶらぶらあるいてケーブルの駅へ、ここはさすがに観光客やカメラマンの姿が見られます。ケーブルと紅葉の取り合わせを写そうと線路に近づくと、先客が大勢います。なんと先客は人間ではなくお猿さんです(^^)。
橋の欄干、茶店の軒、駐車場のなか、いっぱいいます。カメラをむけても慣れているのか全然逃げず、逆に木をゆすったりしてポーズをとってくれます(^^; もってきたお菓子をやると、キャッキャと喜んでくれます。駐車場のおじさんに聞くと比叡山から毎日のように降りてくるそうです。

もみじも真っ赤か、お猿のお尻もまっかか\(^o^)/ の八瀬遊園でした。 

  (95/11/25 京福電鉄叡山鋼索線 ケーブル八瀬遊園)

背景のもみじのイラストは「りょうか」さんの素材集「もみじ葉の風」よりお借りしたものです。
無断転載はお断りします。


2005年10月のTOP
江若交通のボンネットバスです。比良の山奥から堅田駅前に到着したところです。この写真を撮影した頃でも、すでにボンネットバスは非常に少なくなっており、手近な定期の乗合路線は、ここと奈良交通に何路線か残っているだけだったように思います。
近年バイパスが整備されたR367を走っても想像できませんが、このバスが走っていた頃の若狭街道は悪路で、普通車どうしのすれ違いもやっとのところが多く、バスなどの大型車が来ると難儀しました。バスの前を先導車を走らせて誘導したり、渋滞のため計画運休するといったことも実際に行なわれていました。
切符館の「江若交通」コーナーにあるように、昭和57年冬にさよなら運転後、廃車されました。

   昭和54年10月 堅田駅前


2005年9月のTOP
今はもう秋...、この季節になると思い出すのが「京都市電」のこと。
彼ら・彼女らが旅立ってからもう20数年
早いねぇ

   昭和53年9月30日 烏丸車庫


2005年8月のTOP

   映画「駅・station」のキャンペーンを目的に「日本一周・旅号」という臨時列車が運転されました。
   映画のほうは、遂に見る機会がなく終わってしまいましたが、列車が京都駅にやってきたときは、
   撮影に出かけました。
   ご覧のように、20系寝台で編成された長大列車ですが、いま写真を見てみると、下の写真の右端に
   写った、米原方面へ向う、小編成の貨物列車にぶら下がった「ワフ」のほうが興味を引きますね(笑)

   昭和56年8月26日 京都駅にて


2005年7月のTOP















「この祇園祭りの写真のどこが「鉄」?」
って、声が聞こえてきそうですが、よく見てください。空には、架線が伸びているし、地面にもレールが走っています。しかも架線の横柱は巡行に差し支えないように、片持ちになっています。そう、まだ京都市電が健在な頃の山鉾巡行の写真なのです。
レールに乗り上げると鉾がスリップするので、鉾の舵を取る人は、クサビの親方のような道具を使って、慎重に鉾の進行方向を調整していました。
でも、このような心配もこの年が最後、この3ヶ月後には、河原町通りから市電の姿は消え去りました。

昭和52年7月17日
四条河原町付近


2005年6月のTOP


2005年5月のTOP
蹴上の浄水場は、ツツジの名所として有名なところです。例年GW期間中に一般公開され、大勢の見学客で賑わいます。数年前までは、観客輸送には京阪京津線があたり、旧碓氷峠に匹敵する66.7‰の急坂で、九条山を上り下りしていました。
ちなみに「蹴上」の地名の由来は、源義経が奥州に下るとき、ここで馬が蹴り上げた泥水が掛かったのを怒って、馬を引いていた従者を切り殺したためだとの言い伝えが残っております。
(昭和55年5月3日、京阪京津線 蹴上−九条山間)


2005年4月のTOP

春といえば桜、京都にはさくらの名所は多けれど、電車と桜の取り合わせといえば、ここ嵐電北野線の御室桜のトンネル。最近は、ライトアップや夜桜電車でマスコミに取り上げられることも多くなりましたが、この頃もカメラマンや地元の花見客で賑わっておりました。
(96年4月13日、京福北野線 鳴滝−高雄口間)



2005年3月のTOP

高架線に切替初日の山陰線丹波口駅構内を通過するDD13牽引の貨物列車。この日、京都・梅小路−二条間が高架化され、記念のSL列車も走った。記念式典が終わったホームに上がって見るとちょうど、貨物列車がやってきた。牽引機から見て、二条−梅小路間の小運転列車のようだ。これと交換する列車はキハ20+キハ10+キハ20のでこぼこ列車だった。
(昭和51年3月16日、山陰線丹波口駅)



2005年2月のTOP
雪の上越線魚野川鉄橋を渡る急行「佐渡」号。まだ、新幹線の開業前で、特急「とき」と急行「佐渡」号がスキーヤーを運んでいた。この年は暖冬で雪が少ないと地元の人はいうが、関西人の目にはものすごい大雪に見えた。
(昭和54年3月14日、上越線越後中里付近)


2005年1月のTOP
残雪の残る比叡山を背に、改装の進む修学院車庫横を走るデナ500型、車庫にはもう一両のデナ500とデナ21型が休む、右端はデナ1型の廃車体。
撮影日はこのHPのお誕生日、昭和49年1月18日。


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