写真散歩

国鉄・京阪・江若

(その4)

画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫

昭和31年11月19日の東海道線米原−京都間の電化完成直後の大津駅のスナップです。この湖東線の電化により東海道本線は全線電化され、青大将のEF58に牽かれた特急「つばめ」号「はと」号が7時間30分で東阪間を結ぶようになりました。
くしくもこのページを作っている2006年11月は電化50周年の記念すべき時になります。



現在の大津駅舎です。昭和50年(1975)4月に建て替えられました。
逢坂山からJR大津駅までの道は、旧東海道を歩きます。この間には、高札場(札の辻−京津線が開業した時はここが終点でした。)の東海道と北国街道の追分、本陣跡、大津事件の現場、大津絵を売る店などが点在しています。
大津祭で勢揃いした山車 鬼の念仏
 寿老人 鬼のように無慈悲で冷酷な人が、表面だけ神妙に振る舞うこと。また、柄(がら)にもなく殊勝に振る舞うこと。
(ことわざ辞典から)


藤娘と鬼の念仏(マンホールの絵柄)




大津の次は、膳所になります。ここから浜大津にかけての石坂線の軌道は、かつては国鉄の貨物線でした。明治13年に、大津−京都間の鉄道が開通した時は、今の浜大津駅が大津駅と呼ばれ、膳所駅は馬場と名乗っていました。その後の変遷は省きますが、昭和44年の江若鉄道廃止と共に貨物線は廃止となりました。

写真の待避線のさらに右手の空き地の部分が、京阪線と3線軌道になって浜大津に向う貨物線の跡です。急勾配で京阪の線路のレベルまで下り、草むらの先で一緒になっていました。
廃止になって数年後の昭和50年代前半まで3線軌道の跡は残っていたように思います。
国鉄がJRになってから、国鉄京阪が清算事業団から軌道を買い取ったという記事を新聞か鉄道雑誌で読んだことがあります。  (2006.11.17)



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