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電車の話は一休みして、休憩しましょう(^^)

京町屋と西洋建築

四条烏丸付近はビジネス街ですが、近代的なオフィスビルやホテルと並んで、江戸時代から続く町屋や明治・大正時代の西洋建物が残っています。
その中からほんのさわりだけご紹介します。

「古い建物何かに興味は無い。」という方は、バイパスして次へお進みください

烏丸蛸薬師角に残るもと北國銀行京都支店の建物。辰野金吾博士の作品で、大正5年竣工です。
この先、烏丸三条から新京極にかけては、明治大正時代の洋風建築が数多く残されています。主なところでは、新風館(元電話局)、三条郵便局、京都文化博物館(元日本銀行)、SACRA (元不動貯金銀行)、京都ダマシンカンパニー(元時計店)、毎日新聞京都支局、などなど。
現役の事務所ビルもあればブティックに変わったものもあります。神社仏閣巡りとは一風変わった町歩きが楽しめます。

紅殻格子に木柵を回し、台所からは大きな煙突が飛び出しています。建て方から見て、商家ではなくて、旅館か料亭だったのでしょうか。

うなぎの寝床の典型のようなお宅。母屋、中庭、離れ、蔵と続きます。その間を通り庭がつないでいます。

小料理屋さんの店先。のれん、祇園祭のちまき、吊り灯篭、2階のすだれと小道具が揃っています。
クーラーが目障りですがまあ仕方ないでしょう(^^ゞ


蛸薬師通りを東に進むと修学旅行生でにぎわう新京極通りに突き当たります。この写真の奥のお寺が通りの名の由来の蛸薬師堂妙心寺です。

このお寺には、こんな話が伝わっています。
  『むかしむかし、このお寺に善光さまという親孝行なお坊さんがおりました。
   善光さまのお母様が重い病気になられたとき、タコを食べさせると治ると
   いわれ、タコを買ってしまいました。昔はお坊さんは肉や魚といった生臭物
   を食べることはもちろん触ることも許されておらず、町のひとから「坊主の
   くせにタコなど買って!」と咎められました。その時、善光様が、お薬師様
   に祈ると、たちまちタコはお経の巻物になってしまいました。
   町の人はその奇跡におどろきこのお寺の本尊を蛸薬師様と呼ぶようになった
   そうです。』

日本むかし話でも取り上げられた有名な説話ですので、ご存知の方も多いと思います。

この一筋南の通りは錦市場で全国に有名な錦通りです。この通りの由来も
面白い話が残っていますが、またの機会に.....
(気になる方は、「宇治拾遺物語」などを読んで見てください。)

マンションに建て替えられ、自動車の洪水であふれる町屋のある裏通り。
残念ながら、これも現実です。

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このコーナーで使用しております背景の手まりのイラストは、「りょうか」さんの素材集「もみじ葉の風」よりお借りしたものです。無断転載はお断りします。



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