写真散歩


四条烏丸付近


画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫

(注)新旧の写真をクリックすると拡大写真を表示します。

四条烏丸交差点の今昔です。昔の写真のバックに写る重厚な建物は旧三井銀行京都支店ビルです。走っていくのは600型の1系統祗園行き、左手に頭だけ写っているのは烏丸線の京都駅行きでしょうか?交差点の真ん中で交通整理するおまわりさん、行き交う車にも時代を感じます。
この付近は京都のビジネス街で、銀行・商社をはじめとしてたくさんのオフィスビルが立ち並んでいます。今の写真のバスの背後のビルは現在の三井住友銀行京都支店ビルです。写真を写した時は折悪しく改装中でしたが、旧ビルの角の丸みを帯びた列柱部分を残して建て替えられました。

この四条烏丸周辺は祇園祭の鉾の辻とよばれ、下のバス停前の長刀鉾を始め、函谷鉾、月鉾、菊水鉾、鶏鉾が並びます。

何の変哲も無いバス通りが

宵山の日には、人波で埋め尽くされます。

市電のあった頃は、この付近はセンターポールになり、巡行の当日の朝には、邪魔になる区間の架線の撤去が行なわれました。雑誌などで無電区間を惰力で走行したり、途中で止まってしまってみんなで押している(笑)写真などを目にすることがあります。

その他の巡行コースも巡行に差し支えないように、架線のビームが片持ちになっていました。(左の写真)
レールに乗り上げると鉾がスリップするので、鉾の舵を取る人は、クサビの親方のような道具を使って、慎重に鉾の進行方向を調整していました。


交通規制で河原町二条で折り返す京都市電
(S52/07/17)
(注)写真をクリックすると拡大写真を表示します。




画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫

(注)新旧の写真をクリックすると拡大写真を表示します。

最初、昔の写真を見たときは、電車の行き先表示から京都市内中心部の烏丸通?とは推測してみたのですが、正確にどの停留場の近くかが、なかなか判りませんでした。

ランドマークになる建物などがあればすぐに判りますが、この付近は変化が激しく撮影の頃を知らないと、判定がむつかしいです。まず目を付けたのが、「福徳相互銀行」と「協和銀行」の看板です。どちらも現在はりそな銀行グループに統合されましたが、りそな銀行の京都支店は、今も四条烏丸にあります。次に、写真の奥に小さく写る建物に見覚えがありました。これは現在、新風館とよばれる若者向きのショッピングビルに改装された、旧電電公社の三条電話局です。私事ですが、父親がここに電話技師として勤めていて、何度か迎えに行った覚えがあるのです。決め手になったのは、手前の線路の渡り線です。

電話局、銀行、渡り線の3題話で「四条烏丸電停の北詰」と判定しました。そうすると、電車は南進して京都駅に向っているところなので、影の向きから見て、午後、それも夏の遅い夕暮れ時のようです。背後の山並みは北山になります。

この写真の電車は、まだポールを前後につけて走っています。おなじ時に撮影された他の写真を見ると、すでにピューゲルに変わっているものもあります。ポールとピューゲルの両方載せている欲張った(笑)電車も走っているので、まさに過渡期であったことがわかります。この市電の集電装置変更は、昭和30年秋の京福叡山線の宝ヶ池乗り入れの中止のきっかけにもなっています。ちなみに乗り入れに使用されたのも、この1000型電車でした。

共同企画者のやぶおさんも話題にされていますが、道路を横切って貼られているのが、京阪・近鉄(奈良電)の相互乗り入れのページに出てくる、「木津川水泳場」の宣伝幕です。新聞社と並んで、「奈良電鉄」の名前も上がっています。なまちゃんさまのお話では、昭和39年に廃止されたそうですが、私も親からよく話は聞きました。市内の目抜き通りに宣伝幕を出す位ですから、海の遠い京都では、手軽に水に親しめる天然のプールとして親しまれたのでしょう。ここから市電で京都駅へ行き、そこから奈良電に乗り換えて一時間弱程で着きます。臨時駅も開設されてにぎわったそうです。

奥野氏の撮影の頃は、電車ものびのびと走っています。あるいは盆休み中かもしれません。私の知る四条烏丸付近は、京都市内最大のビジネス街のため、電車もバスも道路も混雑していて、いつになったら目的地に着くかイライラしてつり革を引っ張っていたものです(笑)

変わって、今の写真ですが、撮影に行った日はたまたま時代祭りの日に当たり、市内は時ならぬラッシュに見舞われていました。いつまで待っても車の列が途切れずなかなか撮影のタイミングがやってきません。なんの変哲もない渋滞した道路のスナップしか貼れなくて申し訳ありませんm(__)m


今昔のトップへ戻る HOME 戻る 次へ


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送