福 塩 線

(その1)

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「一円電車」として有名だった、明延鉱山の専用鉄道を訪ねたのは、大学が冬休みに入った昭和56年の暮れのことです。京都市内を夜明けに出発し、国道9号線を北上、和田山から播但線に沿って少し下った新井の町から山手に入り神子畑の精錬所前へ到着しました。この間3時間程度の道のりだったでしょうか。

従業員および家族用の
一円の乗車券。
一般の添乗者は十円の
運賃だったと記憶します。

30両もの鉱車を連ねた鉱石運搬列車がやってきました。

炭鉱と違い、引火の恐れが無いためか、架線集電の電気機関車の牽引です。

人車を待つ地元の方。運転台に添乗者の注意書きが張ってあります。人の背丈と合わせてみると分かるように、非常に低い位置に架線がはってあります。トンネルの断面を狭くするためでしょうが、ちょっと怖い気もします。

人車列車

人車と交換する鉱石列車

一円電車の絵はがき。説明文には「国内錫鉱総生産量の90%を出鉱する明延鉱山の鉱石列車。30輌連結で錫銅を毎日運び出し、日本の産業に貢献している。」とあります。

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