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大阪と神戸をむすぶ大動脈、国道2号線、かつてはここにも路面電車の姿がありました。阪神国道線、北大阪線、甲子園線です。
はじめて訪れたのは、昭和49年のGWです。西宮の夙川鉄橋で東海道線を撮影したあと、回ってみました。香枦園駅へ向かう途中に阪神国道を渡るとき、すでに廃止になっている国道線の西半分の廃線敷きがまだ、撤去されずに残っていたのを目にしています。初めて阪神電車に乗車して、野田へ向かいました。なぜかやってきた普通電車でそのまま乗りとおしたので、何度も抜かれたのを覚えています。 香枦園から北大阪線連絡乗車券→ (撮影日=昭和49年5月5日) |
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野田駅で国道線の電車と対面しました。うわさには聞いていましたが、「金魚鉢」電車は半流線型で窓が大きくスマートで、車内には洒落たすずらん灯が輝いていて、いっぺんに好きになりました。 204号 野田駅軌道線ホーム |
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「金魚鉢」と対極をなすような無骨(失礼)な電車も大活躍していました。このころは嵐電のモボ101型や阪堺電車のモ205型、叡電のデナ21型など戦前製の電車もいくらでも見られた良き時代です。後ろを振り返ると阪急神戸線でも720系が駆け抜けていきますし、先の大阪駅にはゲタ電72・73系が止まっていました。 梅田貨物線を専用軌道の鉄橋で越え、中津に到着した33号車(左上)と野田に向けて走り去る同車、ポールとパンタを合体したようなボウコレクターが印象的(右上) がんこ寿司の看板をバックに野田へ向かう36号車 (阪急中津駅前にて) |
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