写真散歩
関 西 線・草 津 線 沿 線

(その1)

四日市付近のトワイライトゾーンを堪能して、いよいよ京都へ帰る時間になりました。同行のやぶおさん、はまかいじ22さんから見ると、宿泊地である大津へ向かうことになります。

塩浜から近鉄津まで乗った電車は、2000系のトップナンバーとセカンドでした。このページを作るために近鉄の公式サイトなどを調べてみると、2000系は、あの「ビスタカーII世」10100系の電装機器を流用して、通勤型の車体を 新製した電車とわかりました。一部機器を更新した編成もあるそうですが、この2101Fは、ビスタカーの遺伝子を今に伝えています。
そうとわかっていれば、足回りなどもじっくり写してきたのですが(^^ゞ

「津」の名物はやっぱりこれでしょう。
「阿漕」「一身田」などいわれのありそうな駅名も並んでいます。

津−亀山間は湘南色の軽快気動車、キハ11のワンマン列車でした。

伝統のあるドーム風の屋根をもつ亀山駅のホーム。ここでJR西日本に乗り継ぎます。

JRの列車もやはり軽快気動車のキハ130の2両ワンマンです。
駅の外れには旧亀山機関区跡が広がっています。いまは一部が留置線として使われている以外空き地になっています。
30年以上まえの小学校の修学旅行で伊勢へ行ったときは、ここの車庫にD51やC57が留まっているのをはっきりと見ました。キハ28・58やキハ81・82もいたのでしょう。
ドラえもんのタイムマシーンであの時代に戻りたいものです。

亀山駅をでてすこしいくと、JR東海と西日本の境界があります。
運転手さんが親切にもおしえていただいとところに目をやると、境界を示す標識が立っていました。

一瞬で写真には撮れませんでした。

列車はいよいよ鈴鹿山脈を越す、加太越えの難所にかかっています。軽快気動車はさすがにエンジン音は高くなりますが、そんなに減速もせず、グングンと急坂を登っていきます。それでもSLや旧タイプの気動車の時代はかなり難儀したのがしのばれます。
わたしも一度だけSL列車で加太越えをしたことがあるのですが、立て付けの悪い旧型客車では窓を閉めてもどこからともなくD51の煤煙が入り込んできて、みな咳き込んだり、ススを拭ったりしてました。

その難所の中在家信号所もいまは定期列車の退避もなくなり、信号もポイントもロックされているようです。

無事に鈴鹿山脈を越えて、柘植に到着しました。ここで草津線に乗り換えです。見なれた113の福知山色車を見るとホットとします。同行のお二人は地元では113系がほぼ全滅なので、転換クロスのアコモ更新車に興味津々の様子でした。

旧天王寺鉄道管理局管内には、ふるい駅施設が多く残っているのですが、この駅にも、木造の跨線橋や煉瓦作りの危険物庫など、ひと昔前のストラクチャーが目につきます。

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このコーナーで使用しております背景の夏の草花のイラストは、「りょうか」さんの素材集「もみじ葉の風」よりお借りしたものです。無断転載はお断りします。



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