写真散歩
岩倉

2006年/autumn

(その2)

お寺の参道の情景です。朱塗りの橋が美しいです。

反対から見たところです。白壁と朱塗りの橋のコントラストが際立ちます。この橋のたもとから少し奥に入ったところに、有名な岩倉具視公の旧宅があります。
ところで岩倉公は村上源氏の流れを汲むお公家さまだって知ってました? 旧宅に残る遺品には源氏の家紋である笹竜胆が描かれています。
それと、東京の岩倉高校(鉄道学校)も日本の鉄道創設に努力された公の名前にちなんでいるのだそうです。
岩倉公のおかげて「鉄道趣味」ができるありがたさを公の肖像に感謝してきました。
「鉄」のみなさん、岩倉方面へ足を向けて寝ると罰ちが当たりますよ(笑)


笹竜胆
岩倉は、立派な民家が目に付きます。さすがお公家様の領地だけのことはあります。
このお宅も、母屋に離れに白壁の土蔵、石垣の土台の上に築かれた土塀と、ここを通るたびに見入ってしまいます。

こちらは、茅葺き屋根の雰囲気そのままに瓦拭きにされたお宅です。妻の「水」の文字も残してあります。

散歩の途中で見つけたもの

(上) 国鉄小荷物、○通、急行便−いつからここに掛かっているのでしょうか?

(左) 左くわんおん、右くらまみちの道標 (右) 岩倉観世音の道標
岩倉観音とは、実相院の近くにある大雲寺というお寺の本尊の観音様のことです。
このお寺は、諸般の事情でだいぶん衰微していますが、かつては壮大な伽藍を構え
お参りも多かったようです。鞍馬街道を歩くとほかにもこの観音様への道しるべを見かけます。

(下) 岩の祠(いわくら?)に祭られたお地蔵様

散歩の途中で見つけた、家紋を彫り出した古い土蔵と水を彫り出した出来たばかりの土蔵

岩倉の地名の起こりとなった、山住神社のご神体の石座(いわくら)。下の写真の祠の奥に見える巨石がその一部です。
石座とはものの本によると、「巨石信仰の一種で、古代人が巨石を神の降臨する神聖な場所または神そのものとして崇めたもの。」だそうです。
よく岩倉公が住んでいたから岩倉という人がいますが、逆で岩倉村に領地を持っていたため岩倉氏と名乗ったのです。徳川氏が三河国松平郷の出身なので松平家を名乗るのと同じです。

つぎは、市原から二ノ瀬、貴船口と足を進めてみましょう。

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このコーナーで使用しております背景のもみじの枯山水のイラストは、「りょうか」さんの素材集「もみじ葉の風」よりお借りしたものです。無断転載はお断りします。



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