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叡山電車にも近代化・合理化の波は押し寄せ、ポールカーもパンタ化されることとなります。
ポールからパンタへ切り替わった前後の写真です。
パンタとポールを併設した、デナ22+21 切り替えの半月ほど前から、連結車の中間にパンタグラフを載せて集電試験が行われていました。屋根上のパンタグラフに注意。まだ、まわりの風景もおだやかな頃の岩倉−木野間にて撮影。 このページの撮影日=昭和53年10月15日 |
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車両のアップ、ハイキングへ向かう乗客で混雑しています。 |
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同じ編成の上り列車を陸橋上から写したもの。ちょっとブレた写真で肝心のポールとパンタの関係がうまく写っていませんが・・・・ (宝ヶ池−修学院) |
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単行運転が原則のデオ200型には、まだパンタは乗っていません。この付近も宅地造成で家が立ち並び線路も複線化されて、20数年の時代の流れを感じます。(岩倉−木野間) | ||
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