福 塩 線

(その1)

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ひと昔前までは、天王寺から南紀へ向かう、阪和線・紀勢西線の沿線には、南海の支線や中小私鉄の路線が枝を伸ばしていました。そのころ読んだ交通経済学の教科書には、「幹線の培養線的性格をもって建設されていった、云々・・・」と、書かれていました。

教科書の内容を実地検証しようと(笑)、和歌山に向けて天王寺駅を出発したのは、昭和55年の夏の終わりのことでした。

モハ24号(もと阪神の601形)が前面窓開放で、走っていきます。リベットだらけの車体に5枚窓の面構えは風格を感じさせます。
紀伊野上−動木

モハ32号(もと阪神1141形)がちいさなトンネルをくぐっていきます。
紀伊野上−竜光寺前

モハ23(元阪急の1形26号)が貴志川に沿って走ります。。この日の午前の稼動車は23,24,32の3両だったようです。
紀伊野上−動木

同じ場所で写した、32号。明り取り窓が決めてです。
土手のグリーン、清流のブルー、クリームと朱色のツートンの電車、カラーで撮らなかったのが悔やまれます(^^ゞ


昭和55年9月2日 北山駅に到着するモハ32

海南駅で下車後、連絡口へ回りましたが、折悪しく発車直後で30分近く待って、次の電車で終点、登山口まで乗りとおしました。そのあと線路に沿って、北山駅まで撮影しながら戻りました。

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