今月のTOP写真集
(2008年)
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2008年12月のTOP
2007年は猛暑の影響か紅葉の色付がいまいちでした。
ここ数年晩秋になるとこの紅葉谷に通っているのですが、中々納得できる仕上がりにはなりません(^^ゞ
それでも一眼レフカメラの威力でそれまでのコンパクトデジカメとは格段の出来にはなりましたが。

2007年12月1日 叡山電鉄 二ノ瀬〜貴船口間

2008年11月のTOP
29年の長きに渡って洛北の地を走り続けてきました叡電のデオ600型が、2008年11月1日をもって引退しました。
どちらかというと地味であまり注目されることの少なかった電車ですが、最後に盛大なお別れ運転で見送ってもらえたので喜んで旅立って行ったのではないかと思っています。
ご苦労様でした。

1979年1月 三宅八幡〜八瀬遊園(現:八瀬・比叡山口)


2008年10月のTOP
京阪京津線の三条−御陵間が地下化されて早くも11年目の秋を迎えました。この写真を写した廃止2日前は、大津祭りの日で某ネットサークルのオフ会を兼ねて撮影に行ってきました。
当時は、春秋の行楽シーズンには併用軌道上にも車があふれて定時運行もままならない状態で、地下化も止むなしといった雰囲気でした。しかし地下化されると、逆に、迷惑乗り入れだの、初乗加算で運賃が高いだの、本数が少ないだの、と文句ばかり出て並行するJRに客を取られて青息吐息といった状況です。
いまさら路面区間に戻すわけにも行かないでしょうが、市交通局・京阪とも出来るところは譲歩しあって、少しでも乗客の増えるような施策を考えて欲しいところです。

(1997.10.10 京津三条駅 )


2008年9月のTOP
1978(S53)年09月30日、京都市電最終日の朝の高野橋東詰です。京都の市電が廃止され、叡電のポール電車もパンタグラフに取り替えられてこの秋でなんと30年になります。撮影時の大学生もいまは「人生わずか・・・」と、云われる年までなってしまいました(^^ゞ 月日の経つのは本当に早いものです。
撮影地の橋も架け替えられ左手の瓦屋根の料亭もマンションに成りました。料亭の前に後部だけ写っている母校のスクールバスもいまは京都バスの代行になり、大学のイラストバスが市内を走り回っています。
さて、肝心の1931号車は市電廃止とともに広島電鉄へ移り、冷房化されたりして今も元気に走っているようです。京都市電時代は20年ちょっとで卒業している(管理人の一年先輩になります(^^♪ )ので、すでに広島時代の方が長いことになります。車齢はすでに51歳、ぼちぼち引退の声が出てもおかしくないところですが、いつまでも活躍してくれる事を祈りたいです。


2008年8月のTOP
明石市の西部地区を走るコミュニティバスの「たこバス」です。さすがに蛸の本場だけあってタコフェリーからひっぱりたこ飯に、タコ検定まであるそうですが、このバスのネーミングとラッピングを見たときは思わず笑ってしまいました。今でも魚屋さんでタコを売っているのを見るたびに思い出します。

2006/08/14 (JR大久保駅駅前にて)


2008年7月のTOP
去年の七夕イベントのひとこまです。京阪では交野線の沿線に残る七夕伝説にちなんで、終点の私市駅周辺でいろいろと催し物を出しています。たまたま大阪方面へ行く機会はあったのですが、子供と一緒のため枚方で途中下車して臨時列車の運転を見たりすることは出来ませんでした(^^ゞ
唯一の釣物がこのヘッドマークつきの電車の写真です。

2007/07/06-京阪天満橋駅構内にて  (右下の七夕飾りは出町柳駅)


2008年6月のTOP
梅雨のはしりを思わせるどんよりした曇り空。こんな日は逆に明るい画材がないかと線路際をキョロキョロ見回していたところ、宝ヶ池駅構内の空き地で黄色い花が群れて咲いているのを見つけて途中下車しました。
写真を写していると近所の人に声を掛けられて電車を写していると、言いづらくて(^^ゞ「花が好きで写してます。」というと、なんとこの花壇の持ち主で延々とお花の話をされてしまいました(^^♪
おかげて、きららのすれ違いというベストアングルを取り逃がしてしまいました。

ちなみに、この花は「オオキンケイギク」といい外来植物で「外来生物法」によって、栽培が原則的に禁止されているのだそうです。

2008/05/31 (宝ヶ池駅構内にて)


2008年5月のTOP
昭和63年4月青函トンネルに続いて瀬戸大橋も開業し、本州と四国のレールが直接結ばれました。当時のJR各社は「「レールが結ぶ、一本列島」のCMを盛んに流していました。それに乗せられて私も、3月の青函トンネルに続いて初乗りに行ってきました。高松から鳴門・徳島と回り徳島本線で阿波池田に出ました。
駅の構内にかずら橋の模型が展示してあるのでたまたまやってきた列車と絡めて写したのがこの一枚です。
キハ181系の特急、キハ28系の急行、オハ50系の普通とフルキャストが揃っています。今では181系、50系は四国には在籍せず、58も風前の灯火です

1988/05/12 (阿波池田にて
)


2008年4月のTOP

昭和59年4月、三陸鉄道が開業しました。この年の正月から東京勤務になり東北も近くなったのでGWを待ちわびて東北新幹線に飛び乗りました。盛岡から山越えのバスに揺られてやっと久慈の町に到着しました。まだ開業時の盛況が残っており、GWを待っての初乗り客で車内は混雑していました。この路線は南北リアス線に分かれていますが、最近の新線のためトンネルと築堤区間が多くて、リアス式の海岸が見えるところは意外にすくなくてがっかり下記憶があります。

1984/04/30 (久慈にて)






2008年3月のTOP
昭和63年3月、20数年の工期と一兆数千万円!!といわれる工費を掛けて青函トンネルが開通しました。春分の日の連休を移用してさっそく駆け足ですが、初乗りに出かけました。
時は昭和バブルの真っ最中とあって、青森までは行きは寝台特急、帰りははつかりと新幹線の乗り継ぎという大名旅行でした。
北海道内も周遊券で特急の自由席に乗れるので、山線の倶知安・小樽経由で札幌へ行き、翌日室蘭線経由で函館に戻りました。
この写真は、北海道を離れる記念に函館山と係留中の十和田丸をバックに定番の構図で写したものです。

なぜ、小樽や札幌の写真が無いかって? 実は、フイルムの入れそこないで空写ししてしまい。貴重な記録が一切残っていないのです(^_^;)

1988/03/21 (函館にて)


2008年2月のTOP
今から27年前の冬、神戸の町と神戸港の埋立地を結ぶ本格的な新交通システム「ポートライナー」が誕生しました。この写真は、さっそく開業初日に初乗りに言ったときのスナップです。
神戸というとおしゃれな街のイメージがありますが、なぜか私のアルバムに残る写真は普段着の人ばかりです。開業記念の垂れ幕の写った写真でもなければ、ちょっと神戸まで足を伸ばしたついでに写してきたようにも取られかねませんね(笑)

1981/02/05 (三宮にて)


2008年1月のTOP
今年は、もう一度写真趣味の基本に戻って、「シャープなピント、適切な露出、決まった構図を心がけ」て写真を撮っていこうと思っています。それで、今までの反省を込めて、未発表の写真の中でも特に出来の悪い(^^ゞのをトップページに持ってきて皆様のご批判を受けようと思います。
この写真は、なぜ写したのかもはっきり覚えていないのですが(笑)、偶然叡電のラインナップすべてが並んだのをみてシャッターを切ったのでしょう。でも記録としては良いかもしれませんが、なにか構図に締りがありませんね。もう少し近景のきららか遠景の600型かを強調すべきでした。柱がやや斜めに写っているのも、構え方の悪い証拠です。空が多いのも気に入りません。鉄道写真なのだからもう少し線路を画面に入れたほうが良かったようです。
総合得点は45点位でしょうか(^^)

2007/01/15


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