昭和55年春の撮影行は、四国方面になりました。
当時のメモによれば、前日は瀬野八で撮影し、広島泊、翌日の朝に広島市内で撮影、午後は呉経由で瀬戸内を渡り松山へと、忙しく移動しています。
 (昭和55年3月13日)

原爆ドーム前を走る、「1911」(上)と「1910」(下)ともに、もと京都市電です。方向幕がすこし大型になっていますが、塗装も含めて原型をよくとどめています。

連接車の「2501+2502」。のちに3連接車に改造され、3100型となりますが、この頃は2連車でした。

こちらは、3連接車の「3002ACB」。もと西鉄福岡市内線の電車です。
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(その2)

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